2017年2月1日水曜日

東芝が原発から安易に撤退するべきでない理由

崖っぷちの東芝が、巨額損失を生んだ原発事業を注力事業から外すという判断は、一見すると正しいかのように見える。しかし、本当にそうだろうか

東芝の元凶は経営であって技術そのものではない

 東芝が崖っぷちに立たされている。家電売却、半導体分社化といった流れは、かつて世界一の航空会社と言われたパンアメリカン航空(以下、パンナム)の末路にも似ている。

 東芝が買収した子会社の収益悪化によって経営不振に陥ったように、パンナムも1980年に買収した国内線航空会社・ナショナル航空の業績不振が直接の引き金となって経営が悪化。収益性の高い路線から切り売りした結果、パンナム本体の破産にまで追い込まれた。

 もうひとつ両社が似ているのは、パンナムは当時アメリカを代表する大手航空会社、東芝は現在日本を代表する大手電機メーカーであり、どちらも「まさか倒産するはずはない。いざとなれば国が助けてくれる」と思われていたことだ。

 福島原発事故以降の情勢の変化を考えれば、昨年春に発表された経営再建策に従前と変わらない新規原発着工積極策が盛り込まれていたこと自体、見通しが甘かったと言えよう。

 経営が悪いのと技術が悪いのとでは話が異なる。東芝の経営状況がここまで悪化したのはひとえに経営が悪かっただけのことで、東芝自身が持っている技術や製品の筋は悪くない。いや、むしろ技術力の高いメーカーである。

 筆者は鴻海精密工業によるシャープの買収には肯定的な意見を述べたが、それはシャープがシャープという固まりのまま鴻海の傘下に入り、オーナーが変わっても「大阪のおもろい家電メーカー」シャープが消滅してしまうわけではなかったからであり、東芝がこのまま解体されるように切り売りされていくのは見ていて忍びない。

 パンナムの失敗は、カーター政権のもとで航空業界の自由化が進み、新規参入者の増加によって競争が激しくなった国内線事業に深入りし過ぎたことであった。稼ぎ頭の太平洋路線は売却先のユナイテッド航空でも、主要な路線として今も存続している。

 切り捨てるべきは業績不振の事業であり、業績の良い部門こそ社内に温存すべきであったのに、赤字事業の短期的な補填のために将来の収益を注ぎ込み、自転車操業の結果、破綻を迎えたのである。東芝がパンナムの事例から学ぶべきなのは、赤字の元凶を切り捨てるということである。

 その意味で、半導体部門の分社化と共に原発事業を注力事業から外すということは、一見すると正しい判断である。東芝の経営不振の元凶は原発事業であり、その原発事業の先行きも福島事故以降、明るくない。そもそもアメリカでの原発ビジネスは東芝の原発ビジネスの中でも有望株であったはずなのに、そこで大きな損失を出しているということは、残りの事業についても推して知るべしである。東芝は原発事業こそ切り離さなければならない。

原子力事業の積極的な縮小は安易に行なうべきではない

 しかし、原発事業を東芝から切り離すことと、東芝の中で原発事業を縮小することはイコールではない。

 断っておくが、筆者は決して原発推進論者ではない。むしろ、広島・長崎における唯一の被爆国としての原体験を持つ日本人にとっては、原発の発電コストや環境負荷などに関する理屈以前の話として、感情的に原子力は受け入れられないのではないか。そのことを福島の事故は思い返させ、原発に対する漠然とした不安という形で、日本人の心理的な負担となり、目に見えにくいコストとして重くのしかかっていると考えている。

 だが、東芝が現時点で原子力事業を積極的に縮小させることも、安易に行うべきではない。東芝という原発のトップランナーが原発を非注力事業とするならば、原発産業は斜陽産業と思われるだろう。いや、すでにそう思われているだろうが、それにさらに拍車がかかるだろう。

 しかし、日本には「原発の廃炉」という長い年月を伴う国家事業が残されている。そこには何世代にもわたって優秀な人材を送り込まなければならない。原発産業が斜陽産業とわかりながら、原子力工学に望んで進もうという若者はいないだろう。原子力事業が廃炉ビジネスも含めて、何らかの形で継続的な事業として存続していくことが求められる。

 アジアでも台湾が脱原発政策を採るなど、原発に対して逆風が吹く中で、しかも体力の弱った東芝が原発ビジネスを好転させるのは厳しい状況だろう。もしかすると、東芝以外の他のどの会社でも、原発はもはや扱い切れない事業なのかもしれない。しかし、廃炉という観点からも、安全保障という観点からも、原発事業を海外に売ったり、やめてしまったりということはできないだろう。

東芝は原発を切り離すべき、そして国が引き取るべき

 では、どこに解を求めるべきなのか。原発という財が市場経済で機能しないのであれば、そのときこそ政府や公共機関の出番であるはずだ。東芝が東芝として生き残るには原発事業を切り離すべきだが、それを切り離したあとは、日本の政府が原発事業をプロフィットセンターとしてではなく、コストセンターとして引き受けても良いのではないだろうか。

 他社の原発事業も含めて、日本は原発事業の公共事業化を考えても良いときがきているのではないだろうか。

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