2018年4月2日月曜日

春闘激震トヨタショック、「賃上げ額」を明かさなかった理由

 2018年春闘の舞台は大手から中小企業へと移っているが、賃上げ額を伏せたまま、全体で「3.3%アップ」の回答をした"トヨタショック"の波紋がいまだ残る。大手企業がリーダーになり横並びの賃上げを実現してきた春闘の様相が大きく変わった。

春闘の牽引役が賃上げ額、公表せず
 電機や自動車大手の一斉回答日だった3月14日、トヨタ自動車の「回答」の中身がが伝わると、「連合」傘下の労組の本部に戸惑いが広がった。

 注目のトヨタがこの日、労組からの賃上げ(ベア)要求に対し、「前年の月1300円を上回る水準を実施する」と回答したものの、具体的な引き上げ額の公表を拒んだからだ。

 額が内々に伝えられたのは、トヨタ労組のなかで幹部の約60人だけだという。賃上げ交渉を託した7万人近い組合員は、いまだにその成果を知らされないままだ。

 トヨタは日本で最もお金を稼ぐ企業だ。春闘でトヨタが示す回答は、ほかの大手企業、さらにはグループ企業などの"目安"になってきた。各社の労組はトヨタに近い水準の回答を経営側から引き出そうと、トヨタの交渉状況をにらみながら、追い込みをかける。

 そんな春闘のリーダー役の企業が、今年はぎりぎりまで回答を出さず、デンソーなどのグループ企業が先に賃上げ額を示す異例の展開になっていた。

 あげくの果てに、賃上げ額は「非開示」にするという、リーダー役を放棄したかのような姿勢に驚きが広がった

 なぜ、トヨタは賃上げ額を明かさないのか。

 表向きの理由は、「グループ企業との格差の是正」をあげている。

 トヨタのグループ企業の春闘回答は、トヨタ本体との業績の差に配慮し、トヨタを下回る水準の賃上げ額を提示するのが常だった。しかしこの差が積み重なれば、グループ内の賃金格差は広がる一方になる。

 そこで、今春闘ではトヨタが賃上げ額を伏せて、グループ各社がそれぞれの経営状況に応じて自由に賃上げをするように促すことにしたという。業績のよい企業ならトヨタ本体より高水準の賃上げも可能なはずで、格差を縮められるというわけだ。

手当など含め「3.3%」と説明政府の「3%賃上げ」要請に配慮
 しかし、この説明を額面通りに受け止る向きは少ない。

 トヨタの経営陣は、賃上げ額は明かさなかったものの、「定期昇給や手当も含めた賃上げ率は3.3%」とも説明しているからだ。

 背景には、政府が今春闘で「3%以上の賃上げ」を経済界に強く求めていたことがある。

 安倍政権が経済界に賃上げを呼びかける「官製春闘」は5年目を迎えた。だが個人消費に勢いはなく、「アベノミクス」の限界が言われる中で、今年は例年より高い賃上げが要請されていた。

 トヨタは政府の要請をクリアしたことを、さりげなく訴えたのだ。

 ただ、そこには「カラクリ」があった。

 通常、賃上げといえば、賃金水準を一律に引き上げる「ベア(ベースアップ)」を指す。最近は勤続年数に応じて賃金が上がる「定期昇給」の分も含めて賃上げ率を出すケースが増えているが、トヨタのように「手当」まで含めて算出するのは、極めてまれだ。

 ベア額を示せば、定期昇給分を足しても賃上げ率が3%に届かないことが、白日のもとにさらされる。賃上げ額を伏せたのは、それを恐れたからだと見られている。

 業績が堅調なトヨタといえども、高水準のベアには踏み出しづらい事情がある。

 自動車業界はいま、ガソリン車から電気自動車への「100年に1度の大変革期」(豊田章男社長)。デジタルカメラの登場でフィルムカメラが駆逐されたのと同じ現象が、自動車でも起こりかねないのだ。いまの「勝ち組」も、安穏としてはいられない。

 いったん上げると下げづらく、将来にわたってコストとして重くのしかかる賃金の引き上げに経営陣が慎重になるのは、当然のことだ。手当の支給にとどめておけば、業績の悪化時には廃止すればよく、経営へのダメージは小さくなる。

 だが一方で安倍政権からすれば、日本で最も稼ぐ企業にすら要請に応じてもらえなかったことになり、面目は丸つぶれだ。

 トヨタの経営陣は否定するが、手当をまぶして賃上げ率を3%台に乗せたのは、「政権への配慮」だと、受け止められている。

 政府の要請に応じたように見せる「苦肉の策」とはいえ、衝撃は小さくなかった。

シャープは平均年収で「3%」東芝は人員削減とセットで
 2016年に台湾の鴻海精密工業の傘下に入り、経営再建を果たしたシャープも今年の春闘で賃上げ額を公表しなかった。

 代わって回答したのが「年収の平均3%の引き上げ」だ。

 経営側は、賃金体系が鴻海流の成果主義に変わり、ベアの考え方そのものがなくなったと説明している。

 一方で労組も独自の試算で「月1500円の賃金改善に相当する」と解釈し、これを受け入れた。

 だがどういう試算で、その額をはじき出したのか。労組側は「経営陣との約束もある」(幹部)として説明を拒んだままだ。

 ここでも登場するのが、政権が要請した「3%」という数字だ。

 こうなってくると、いったい経営陣は誰に対して「回答」をしているのか、社員や労組ではなく、安倍首相に対する回答ではないのか、という声が聞こえてきそうだ。

 電機業界は、自動車業界と並んで春闘に強い影響力を持っている。

 主要企業の労組は各社の経営陣から同じ回答額を引き出す「統一交渉」を60年代から続け、伝統的な春闘スタイルを維持してきた。

 今年はシャープと東芝の労組が統一交渉への復帰を決め、6年ぶりに対象の主要13社がすべてそろい、ひときわ注目を集めていたが、皮肉なことに、そのシャープが慣例を崩す回答をし、かえって統一交渉の「張りぼて感」を印象づける結果となったのだ。

 同じ復帰組の東芝の対応にも、官製春闘の「弊害」が垣間見える。

 経営側は統一交渉の慣例にならって、日立製作所やパナソニックなどと同額の「月1500円」の賃上げを回答した。ところがその一方では、リストラを加速し、3月末までに3つの子会社で希望退職を募るなどして計400人を減らす計画を進めている。

「われわれは(賃上げの)人身御供なのか」。人員削減の対象になった50代の男性技術者は、怒りをあらわにする。

 賃上げの原資をひねり出すために、人減らしが断行されたとの思いがぬぐえないという。

 東芝は上場廃止の危機は脱したが、経営が正常な状態に戻ったとはいえない。米国の原発事業で生じた巨額損失の穴埋めのため、収益源の半導体子会社の売却を決めた。収益が見込める事業はほかになく、今年度の営業利益の見通しは「0円」。ぎりぎり赤字にならない水準だ。

 それでも経営陣は賃上げを決断し、定期昇給分も含めた賃上げ率を「2.5%程度」と明らかにした。政権の要請には届いていないが、近づける努力はしたことを示したかったようだ。

賃上げの主導権労組から政府へ
「官製春闘、ここに極まれり」の状況だが、労組側の動きは鈍いままだ。

「生活、雇用、将来の三つの不安の払拭には、賃金水準の改善が不可欠。月例賃金にこだわって闘争にとりくむ」(電機メーカーの労組でつくる電機連合の野中孝泰中央執行委員長)

 今春闘で、労組の幹部たちは、ことあるごとにそう繰り返してきた。

 一時金(ボーナス)や手当が増えても、働き手の不安は消えない。業績や景気が悪くなれば、すぐに削られるためだ。だからこそ労組は、ベアを軸とした賃上げにこだわって交渉してきたはずだ。

 しかし賃上げの回答に、実は手当が含まれていて、純粋な賃金アップ分がいくらなのかはっきりしない。そんな状態で、働き手の不安は拭えるのだろうか。賃上げと引き換えに雇用が奪われるのだとしたら、なおさらだ。

 自動車メーカーの労組でつくる自動車総連の高倉明会長は記者会見で、トヨタの回答を「共闘という意味では問題を残した」と述べ、連合の神津里季生会長も、その9日後の会見で「賃金データはきちっと(把握)しないといけない」と、懸念を表明はした。

 だが、それでどんな対抗策をとろうとしているのかは、まったく見えてこない。

 経営側から具体的な賃上げ額を引き出せないほど、労組の力が弱まっているにもかかわらず、危機意識は感じられず、どこか人ごとのようだ。

 実は春闘でトヨタが独自の動きをしたのは初めてではない。

 02年の春闘では、トヨタ経営陣は労組のベア要求に対し「ベアゼロ」を回答した。大手企業が軒並み不振にあえぐなか、当時のトヨタは海外展開に成功して業績を伸ばし、例年以上にリーダー役を期待されていただけに、関係者の衝撃は大きかった。

 翌年以降の春闘では、ベア要求抑制のムードが定着してしまい、労組側は定期昇給や雇用の維持に軸足を移して存在感を示すしかなかった。

 しかし、今回の「トヨタショック」が象徴する問題は、その時以上に深刻だ。

 賃金アップの主導権が労組から政権へと移りつつあることを物語り、春闘での労組の存在意義そのものが問われかねない事態だからだ。

来年以降、「非公表」増える可能性春闘の存亡の危機に
 菅義偉官房長官は記者会見で、トヨタの回答に触れ、「企業収益を踏まえた賃上げの環境が実現し、こうした流れが中小企業、非正規にも広がっていくことを期待したい」。満足げだ。円安や法人減税で大企業の収益を支え、日本経済の牽引役にする。そんな「アベノミクス」の成功事例に、政権側は春闘を位置づけようとしている。

 トヨタの経営側は来年以降も同様の回答を続ける方針を表明しており、賃上げ額の「非開示」がほかの大手企業に広がる可能性は高い。このまま春闘は、政権が経済政策の順調ぶりをアピールするための「茶番劇」へと成り下がっていくのだろうか。

 春闘が日本経済に果たしてきた役割は小さくない。好況の業種や大手が牽引役になり横並びで、業績の劣る企業にも賃上げを促し、分厚い中流層をつくる礎となった。不況期にも定期昇給の維持などで生活水準の底割れを防いできた。

 こうして60年以上の歴史を刻んできた「春闘」だが、存亡の危機につながりかねない局面だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿