2017年6月8日木曜日

三菱東京UFJ銀に何が起きた!

 メガバンク最大手の三菱東京UFJ銀行に異変が起きている。「3代先まで決まっている」といわれ、旧三菱銀行の"プリンス"が4年間務めるのが常のトップ人事で、小山田隆頭取(61)が就任からわずか1年余りで交代することが発表された。体調不良が理由だが、異例の人事だけに金融業界では「人事の前に発表された三菱UFJ銀行への行名変更をめぐる調整で疲弊した」といったものから、はたまた「次期日銀総裁への布石ではないか」といったものまで、さまざまな憶測が飛び交っている。

 小山田氏は6月14日付で退任し、後任に三毛兼承(みけ・かねつぐ)副頭取(60)が就く。2人とも旧三菱銀の出身。小山田氏は6月28日付で特別顧問に就任する予定だ。持ち株会社の三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)の平野信行社長兼最高経営責任者(CEO)は5月24日の発表会見で「(小山田氏から)体調が思わしくなく、職責を果たせないと申し出があった」と説明した。ただ、病状や病名については、「個人のプライバシー」を理由に明らかにせず、小山田氏も入院療養中として、会見に出席しなかった。平野氏も旧三菱銀の出身だ。

 ライバル行をはじめ、証券会社や保険会社といった金融機関も国内の金融業界で大きな存在感を示すメガ最大手の唐突なトップ交代劇だけに情報収集にあたっているが、三菱UFJ側の情報統制は厳しく、真相ははっきりしないというのが現状だ。こうした中で、交代理由として業界でささやかれているのが、行名変更による疲弊や次期日銀総裁説のほか、「かつて小山田氏が関わった海外融資に問題点が露呈した」「(日本国債の入札に参加する特別資格)プライマリー・ディーラーの返上で国との関係がぎくしゃくしていた」「平野氏と小山田氏がうまくいっていない」といったものだ。

 このうち、日銀総裁になるために辞めるというのであれば、対外的に体調不良といえるはずがなく、根拠に乏しい。「激務の日銀総裁の職を体調が悪い人物が務まるわけがない」と反対されるのは確実で、黒田東彦総裁の続投ですら72歳という年齢が体調面でネックといわれている。また、融資に問題があったとすれば、「小山田氏が特別顧問には就任しないはずだ」(関係者)とみられている。

 一方、行名変更による疲弊という見方については一定の根拠があるようだ。三菱東京UFJ銀は5月15日に、行名から「東京」を外し来年4月に「三菱UFJ銀行」に変えると発表した。バブル崩壊後の激しい銀行再編の名残をとどめる銀行名に対し、顧客から「長すぎる」との指摘が出ていたためだ。三菱東京UFJ銀は平成18年に、旧東京三菱銀行と旧UFJ銀行が合併して生まれた。旧東京三菱銀は、かつて国内唯一の外国為替専門銀行として高い知名度があった旧東京銀行と、旧三菱銀行の合併行だった。

 行名変更は2年ほど前から検討が始まり、「きらら銀行」「あかね銀行」といった名称が候補に上る中で、いったんは「MUFG銀行」にすることが決まっていたという。これに対して強硬に反対したのが旧三菱銀の有力OBだ。旧UFJ銀、旧東京銀出身者の反発は少なかったが、旧三菱銀OBは戦前の財閥を源流とする名門「三菱」の看板を外すことへの抵抗感が強く、小山田氏は最後まで調整に追われたと指摘される。

 頭取経験者らを中心とする「相談役」「顧問」など旧三菱銀の有力OBはトップ人事など経営への影響力が大きく、金融庁も経営陣による意思決定の阻害要因として問題視しているという。小山田氏が金融庁とOBとの板挟みになっていた可能性は十分ある。当局との関係では、プライマリー・ディーラーの返上に伴う財務省との軋轢(あつれき)が小山田氏の心理的な重圧となっていたとの見方も強い。

 プライマリー・ディーラーは一定の応札義務や落札義務を負う代わりに、有利な価格で購入できるなどの特典を受けられる資格で、国債の安定消化のために財務省が16年に導入した。メガバンクや証券会社が名を連ねていたが、三菱東京UFJ銀は日銀のマイナス金利政策の影響で国債利回りが歴史的低水準に陥る中、保有を続ければ損失が出かねないと判断し、昨年7月にこれを返上した。財務省は自由な経営判断として尊重する構えをみせつつも、不快感を示す声が強かった。

 小山田氏の退任理由をめぐっては、平野氏との確執も指摘される。平野氏は三菱UFJ信託銀行の法人融資業務を三菱東京UFJ銀へ30年4月に移管することなど、グループ改革で強力なリーダーシップを発揮しており、平野氏の急進的な改革路線への対応に小山田氏が苦慮していたとの声も聞かれる。今回のトップ交代劇はメガ最大手の行名変更にとどまらない転機を象徴しているかもしれない。

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