10月1日の国慶節は中華人民共和国が建国された日であり、中国の国民の祝日だ。ところが、この祝日を中国の国民以上に歓迎する動きがある。それは日本の商業施設だ。都心の主な商業施設には「祝・国慶節」の広告物が掲げられ、訪日中国人観光客の間で"話題"になっている。
情報が瞬時に伝播する中国の通信アプリ「ウィーチャット」では、国慶節の休日に、日本語に訳すと「爆笑!国慶節で中国人観光客にこびへつらう日本の商業施設」というタイトルで、話題が拡散された。その中身は、「国慶節」の看板を掲げる日本の商業施設の画像を集め、その"滑稽さ"を辛辣に皮肉ったものだった。
都心の商業施設のエントランスや陳列棚、地方では空港の到着ゲートに「祝・国慶節」と印刷された掲示物が掲げられるさまに、投稿者は「これは本当に日本だろうか?」とつぶやき、「自分が来たのはニセの日本じゃないか?」と疑問を挟む。それに続くのは、「多くの中国人観光客は、これに呆然とする」という文言だ。そして、皮肉は延々と続く。
「最近、日本は災害が多い。経済の振興に一生懸命なんだ…日本の百貨店は銀聯カードの宣伝を掲げ、国慶節の特別優待キャンペーンをプッシュする」
「ドラッグストアも命がけだ。ここ数年、中国の記念日を取り入れての展開だ。バイトの中国人留学生は『中国人観光客の爆買いがなかったら店はやっていけない』という。『最低でも(売り上げの)50〜60%は中国人観光客に依存している』とも。どうりで中国人観光客を追いかけるはずだ。
中には『国慶節』特別仕様の詰め合わせセットもある。家電量販店もこの機会を絶対逃せないと必死だ。(中略)多くの中国人観光客は不思議に思っている、ここは日本なのに、なぜ中国の売り場に行ったかのような感じになるのか…(後略)」
なぜ日本人が中国の国慶節を祝うのか?
一見するとなんだか馬鹿にされているかのような文章だが、ここは冷静に受け止めたいところだ。実は筆者も、何人かの中国人から「日本でも国慶節を祝うのか?」と尋ねられたことがあるからだ。彼らは「日本には自国の建国記念日があるにもかかわらず、他国の記念日を祝うのはおかしい」と思っている節がある。
日本の商業施設からすれば「一緒にお祝いしましょう」の、いわば軽い善意の気持ち程度かもしれないが、中国では考えられない光景だというのだ。だから、「なるほど、これはそうまでして物を売りたいがためにあえて取っている手段なのだな」と深読みしてしまう。
そもそも、建国記念日に相当する日を持つ国の多くは、旧植民地からの独立記念日をその日に当てている。中国の場合は、国共内戦を経て祖国が統一され、1949年10月1日に行った建国の式典が国慶節となったが、その数年前には日本と中国は戦火を交えている。
建国時、中国の世論は日本に対し厳しいものだったことを思えば、日本人が「祝・国慶節」の広告物を掲示することに違和感を持たれても不思議ではないし、中国人のための国慶節を日本でも祝っているという"不思議さ"をして、「日本は相当な商業主義だ」と勘繰られても、やむを得ないのである。
さらに筆者は、中国人の友人から「日本の建国記念日も同じように消費が活発になるのか?」と尋ねられたが、回答に詰まってしまった。日本の建国記念日を置き去りにし、「国慶節」には敏感に反応する今の日本の商業施設が「節操がない」と思われても致し方ない。
ここはニセの日本なのか?
「ここはニセの日本なのか?」と思われても無理はない。いや、むしろ日本の生活者こそ、あの商業広告に違和感を抱いているのではないかと思うくらいだ。インバウンドも走り出しの頃は、まさかここまで「簡体字広告」が町のいたるところに露出するとは想像もしなかった。
百貨店が"中国人観光客による消費"を最も期待していることは、外壁にかかる懸垂幕を観れば一目瞭然だ。売り場も "中国人好み"を感じさせるつくりになった。家電量販店やドラッグストアの店頭に立つのは中国人スタッフであり、店内の案内も中国語表記や赤い飾りつけが目立つ。確かにこの投稿者が指摘するとおり、「ここは中国か?」と思ってしまう。
ちなみに90年代の中国はまだまだ貧しかったが、北京でも上海でも、その売り場は決して外国人観光客にへつらったものではなかった。
中国でも人気ブランドに成長した都内のあるショップでは、ベテランの中国人社員が日頃から感じる疑問をこう明かした。
「詰め合わせセットにして『8』がつく数字で価格を設定するのは、中国人観光客向けインバウンドの売り方の典型です。インバウンドも初期の頃は『中国人好みの売り方』を熱心に研究しましたが、最近はこうした売り方に違和感を覚えるようになりました。"中国人好み"の売り場づくりを追求しすぎるのは、やっぱり違うんじゃないかと……」
長年インバウンドに取り組んできた宿泊施設の経営者にもコメントを求めた。「歓迎ムードを演出して消費を促すのは当たり前のこと」としつつも、「本来ならば、観光客のためにわざわざ演出するのではなく、"日本のありのまま"を見てもらうことのほうがずっと価値があると思う」と本音を語った。
かつて日本に観光に来たことがある中国人と、通信アプリの「ウィーチャット」でつながった。その女性は「カラクリはわかっている」と言いたいのだろう、即座にこう打ち返してきた。
「我覚得〓們日本老百姓有点不喜歓我們去,但是〓們政府要我們去(日本の市民は私たちが日本に行くことをあまり好んではいないようだけど、日本の政府は私たちに来てもらいたいんだよね/〓の文字は『にんべん+〈「欠」の「人」に代えて「小」〉』)」
これは日本政府が掲げる「外国人観光客・年間4000万人計画」に向けられた、中国人観光客の冷めた目線だと思ってもいい。
二言目には観光消費しか言わない日本政府と、中国人観光客を見れば「消費」しか発想しない商業施設が、一部の中国人観光客をシラけさせているのだ。
昨年、筆者は『インバウンドの罠』という本を出版したが、サブタイトルに「脱『観光消費』の時代」を掲げた。「消費、消費」で観光客を追い回す現状を目の当たりにすると、このままでは、あるべきインバウンドが歪んでしまうのではないかと心配になる。
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