2018年3月23日金曜日

森友文書改竄事件は「強すぎる官邸」のひずみ

 森友学園の事件は、安倍政権始まって以来の危機に発展したが、当事者の説明が食い違い、いまだに事実関係がはっきりしない。野党やマスコミは安倍首相への「忖度」が原因だと主張しているが、そんな心理的な問題は立証できない。

 この問題を政局に結びつけて「安倍政権が国有地払い下げに介入した」というシナリオも根拠に乏しい。国有地の売却には疑問があるが、それは近畿財務局のローカルな問題に過ぎない。本筋は問題が国会で追及された後の、財務省の組織ぐるみの文書改竄だ。両者を混同したまま野党やマスコミが騒いでも、空振りに終わるだろう。

「中抜き」された財務相
 財務省の調査によると、改竄が始まったのは昨年(2017年)2月下旬だが、それを麻生財務相が知ったのは今年3月11日だという。3月2日の朝日新聞の報道を受けて、5日には国土交通省が首相官邸と財務省に「国交省で保管している文書が書き換え前のものである可能性がある」と報告し、それは6日には安倍首相に伝えられたが、麻生氏には連絡がなかったのだ。

 ここに今回の事件の特異性があらわれている。常識的な理解では、財務省の官僚は財務相の指揮下にあるのだから、情報は「国交省 → 財務省 → 財務相 → 首相官邸」の順に流れるはずだが、今の霞が関ではそうなっていない。

 財務省の太田充理財局長の国会答弁によると、国交省は5日午前10時に、まず電話で首相官邸の杉田和博官房副長官に報告し、杉田氏は国交省に「財務省の調査に全面的に協力するように」と指示し、財務省にも徹底的な調査を指示した。

 杉田氏は、6日にはこの経緯を秘書官を通じて安倍首相に報告するとともに、菅義偉官房長官に直接伝えた。杉田氏から指示を受けた財務省の矢野康治官房長は、ただちに理財局幹部に連絡したが、麻生氏や福田淳一事務次官には報告しなかったという。

 その理由について太田氏は「全てをまとめた11日に報告した」というが、この5日間のうちに麻生氏のコメントは二転三転し、9日の記者会見では「捜査に影響が出る」という理由で改竄を認めなかった。10日には「財務省が改竄を認める方針」という報道が流れたが、麻生氏が改竄を認めたのは国交省の報告から1週間後の12日だった。

 つまり実際の情報は「国交省 → 官房副長官 → 財務省官房長 → 財務相」という順に流れ、しかもぎりぎりまで財務相には知らされなかったのだ。これが今の霞が関の意思決定を象徴している。

 全官庁の情報の「ハブ」になっているのは杉田官房副長官で、彼は内閣人事局長を兼務している。正式ルートである大臣や事務次官は、この緊急連絡網に入っていない。大臣は「中抜き」され、官邸が意思決定をしているのだ。

内閣人事局は「霞が関の革命」
 こういう官邸主導の意思決定が行われるようになったのは、内閣人事局のできた2014年以降である。これはすべての省庁の審議官級以上の幹部、約600人の人事を内閣人事局が決めるもので、実質的には菅官房長官が承認しないと人事は動かない。官僚の不祥事などの「身体検査」をするのが、警察出身の杉田副長官である。

 内閣人事局ができたときはあまり注目されなかったが、これは官僚の人事権を官邸が各省庁から奪った「霞が関の革命」である。かつては人事は各省庁の事務次官が統括して入省年次のバランスを取って決め、官房副長官は各省庁の決めた人事を微調整するだけだったが、今は人事を官邸がトップダウンで動かすようになったのだ。

 これは政府の意思決定とも表裏一体だ。かつては各省庁が法案を自民党の総務部会に根回しし、時間をかけて調整していたが、今は問題ごとに特命チームが組織される。内閣の方針は閣議ではなく、毎日開かれる官房長官と副長官と秘書官だけの正副官房長官会議で決まる。

 官邸の方針は特命チームから、自民党の機関を通さないで各省庁に直接伝えられる。その窓口は大臣ではなく、各省庁の官房長である。官僚も自分の人事を握る官邸の意向には逆らえないので、党の力は弱まり、官邸がトップダウンで各官庁を動かすようになった。

 選挙で選ばれた政権が官僚に命令するのは民主政治では当然であり、その命令に強制力を持たせるために人事権を持つのも当然だ。このような政治任用は、多くの先進国で採用されている。特にアメリカでは政権が交代するたびに、政治任用で3000人以上の幹部公務員が交代する。これには批判も多いが、政治任用は悪いことではない。

霞が関に雇用の流動性が必要だ
 日本でも国家公務員法では「任命権は、内閣、各大臣に属するものとする」と定めているので、本来は政治任用である。戦前の政党内閣では、政権が変わると各省の次官も交代した。これに対して官僚機構の一貫性を守ろうとする動きとの妥協で生まれたのが、政務次官と事務次官が併存する奇妙な人事制度だが、実権は事務次官にあった。

 忖度も悪いことではない。首相がすべての国家公務員にいちいち指示できないので、官僚が「政権はこう考えているだろう」と忖度して行動することで、政府として一貫した意思決定ができる。安倍政権がいやなら、役所をやめればいいのだ。

 しかし日本のように終身雇用で、定年まで内部昇進の官僚組織では、内閣人事局のような政治任用は人事のひずみを生む。特に安倍政権のような長期政権ににらまれると、官僚としての人生が終わってしまうので、官僚のストレスが強まる。

 今回の事件で、近畿財務局で自殺する職員が出たり、組織ぐるみで文書偽造するといった異常な行動が出てきたのも、こうした「逃げ場」のない組織が原因だと思われる。

 だからここから「内閣人事局を廃止せよ」という教訓を引き出すのは間違いだ。内閣人事局による政治任用は必要だが、それが官僚組織をゆがめないためには、雇用の流動性が必要なのだ。流動性のない組織で政治任用を強めると、官僚が精神的に追い込まれる。幹部公務員を公募するなど、官僚機構の風通しをよくする「働き方改革」が必要だ。

 もう1つ政治任用に必要なのは、政権交代である。アメリカのように政権交代が起こると官僚機構もリセットされるが、日本のように自民党以外の政党が政権を取る見通しがないと、官僚は自民党に癒着する。長期政権は望ましいが、5年も人事権を握ると組織が停滞する。

 その意味では安倍政権が交代するのも潮時かもしれないが、菅官房長官のように巧みに政策と人事を操る「司令塔」は二度と出てこないだろう。日本はまた毎年のように首相の交代する国に戻るのかもしれない。

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