2018年3月22日木曜日

東大、慶應も凋落の衝撃 医学部ヒエラルキーの崩壊

 ここのところ、東大合格者数ランキングの1位は開成高校(東京都)の指定席となっています。しかし、あらゆる大学、学部でもっとも難関とされる東大理科�類(医学部医学科に進学するコース)の合格者数では、灘高校(兵庫県)がずっと1位を独占してきました。灘は京大医学部の合格者数でもトップです。それによって受験界で「最強高校」の名誉を手にしてきました。

■医学界に君臨する「旧七帝大」

 なぜ受験エリートの人たちが東大理�や京大医学部を狙うのでしょうか。それはこれらの大学が最難関であるだけでなく、医学・医療界でも頂点に立っており、「エリート医師」の道が約束されると思っているからではないでしょうか。

 確かに、医学部には歴史的な成り立ちに基づいたヒエラルキー(序列)があります。その頂点に立つのが、明治から昭和初期にかけて「帝国大学」と称された、東京大学を筆頭とする「旧七帝大(東京、京都、九州、東北、北海道、大阪、名古屋)」です。これら旧七帝大は事実上、医学研究者や教育者、学会リーダーの育成機関としての役割を担ってきました。

 実際、これらの大学は母校だけでなく他大学にも多くの医学部教授を送り出してきました。伝統ある各医学会でも理事長など枢要な地位に就くだけでなく、全国的に有名な病院の院長や部長職を占めることで、明治以来日本の医学・医療界に君臨し続けてきたのです。

■慶応、慈恵、日本医科の「私立御三家」

 一方、研究至上主義が支配した帝大に対して、臨床医の育成を目的に設立されたのが慶應義塾大学、東京慈恵会医科大学、日本医科大学のいわゆる「私立御三家」です。とくに東大出身ながら母校の教授と折り合いの悪かった世界的な細菌学者・北里柴三郎を初代の医学部長・病院長として大正6年に設立された慶應大学医学部は、現在でも何かと東大に対抗意識を持っています。これらの大学は、多くの優れた臨床医を育成してきました。

 次に、大正期の大学令公布にともない、戦前に旧制医学専門学校から医科大学に昇格した「旧制医科大学」があります。このうち、千葉大、金沢大、新潟大、岡山大、長崎大、熊本大は「旧六(旧六医大)」と呼ばれ、各地の基幹病院を関連病院にして地域で影響力を持ってきました。

■戦後に新制大学に昇格した「旧医専」グループ

 その次に来るのが、旧医学専門学校から戦後に新制大学に昇格した「旧医専」です。第二次世界大戦中に医師を増やすために設立された国公立の医学専門学校や、古い歴史がある私立の医学専門学校、女子医専などがこれにあたります。国公立は弘前大学、横浜市立大学、信州大学など19校、私立では岩手医科大学、東京女子医大、大阪医科大学、久留米大学(福岡)などです。

 旧医専の特徴は、とくに私立大学で開業医になる人が多いことです。久留米大学卒業の医師によると、「地方では定年を迎えるとポスト(働き口)がないので、同級生の間では賢い人ほど早く開業する」と話していました。

■「一県一医大構想」のもと70年代に新設された大学

 さらに、このピラミッド型のヒエラルキーの最下層に来るのが、田中角栄内閣が1973(昭和48)年に掲げた「一県一医大構想」のもと、70年代に新設された国公立大学や私立大学です。国立大学では旭川医大、山梨医大(現・山梨大学医学部)、筑波大学、琉球大学など17校がこれにあたります。また私立では、杏林大学、帝京大学、聖マリアンナ医科大学、川崎医科大学など16校あります。

 新設医大が設立されたのは医療の地域格差を解消するのが目的ですが、私立大学では開業医の跡継ぎを育成するという裏の目的もありました。そのため、かつては「A君は500万円、B君は1000万円」といった具合に、入試の点数が低くても、その分を補う額の入学金を積めば合格できる「金権入試」の実態もあったと聞きます。

 新設私大出身でも努力すれば医学界で出世の道は開けますが、卒業者の多くは教授のような「偉い先生」になろうとは、端(はな)から思っていないのではないでしょうか。このように、どの大学に入ったかによって、ある程度自分の将来が見えるのも医学部の特質なのです。

■東大OBが医学部教授になれなくなってきている

 しかし、近年、こうした医学部のヒエラルキー構造は弱体化し、意味のないものになりつつあります。

 まず、ここ数年、東大OBが医学部教授になれなくなってきています。たとえば筑波大学は、開学から7年しか経っていない1980年当時、教授陣の半数を東大OBが占めていました。しかし現在では1割以下となっています。筑波大だけではありません。群馬大、東京医科歯科大、自治医大など、かつて東大出身の教授が多かった大学では、軒並みその割合が低下しています。

■私学ナンバーワンの座にあぐらをかいた慶應も凋落傾向

 これは、自校だけで研究者・教育者を育てられる力がついたことと、大学病院の経営上の観点から、臨床能力(実際に患者を診察・治療する力)の高い教授が求められるようになったことが背景にあると考えられます。つまり、臨床が得意ではなくても、東大を卒業すれば論文業績だけで教授になれるという時代ではなくなってきているのです。医学部教授になる人が減れば、医学・医療界における東大の支配力は相対的に低下することになるでしょう。

 東大だけではありません。慶應大も大学病院の1日当たりの外来患者数が減るなど、凋落傾向にあると報じられました(森省歩「慶應大学病院の失墜〜順天堂に並ばれた私学の雄」『文藝春秋』2015年6月号)。その背景には、私学ナンバーワンの地位にあぐらをかき、教授の8割を母校出身者が占める純血主義にあると分析されています。

■「新御三家」順天堂の台頭

 一方、順天堂大学は天皇の心臓手術で有名になった天野篤教授(現院長)を筆頭に、マスコミでもよく取り上げられる「名医」を教授陣にそろえることで、患者数が大幅に増加しました。医学部の6年間の学費も08年に1000万円近く下げた結果、優秀な学生が集まるようになって偏差値が上昇し、受験界で「新御三家」と呼ばれるほどになりました。

 順天堂大を持ち上げたいわけではありません。医学部のヒエラルキーなど、大学の努力によってどうにでもなると言いたいのです。実際、20年近くにわたり医療現場を取材していますが、むしろ地方の国公立大学や有力な私立大学の出身者のほうが臨床に熱心で、いいお医者さんが多いと感じています。

 医師として腕を磨き、職業人として充実した人生を送るのに、出身大学はそれほど重要でない時代になってきたのです。

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