2018年1月22日月曜日

世界の決済事情から考える「日本でモバイル決済が普及しない理由」

 MMD研究所が2017年12月に行った調査報告によれば、スマートフォンを使ったモバイル決済の認知度は85%と高いものの、その利用率は7.5%と1割に満たない水準だったという。また同年6月に日本銀行が発表した「モバイル決済の現状と課題(※PDF)」という資料では、日本の電子マネー利用率が年々減少して1割を割っている現状を報告しつつ、ケニアでの携帯電話加入者の約76.8%(2015年6月時点)がモバイル決済を利用しており、さらに中国の都市部での過去3カ月間(2016年5月時点)の都市部でのモバイル決済利用率が98.3%というデータを紹介し、一部で話題となった。

 日銀のデータの趣旨は、日本や米国、ドイツなどの先進国では必ずしもモバイル決済が普及していない一方で、従来まで十分な金融サービスが提供されてこなかった地域では、逆に急速に新しい決済手段が普及しつつあるという点にある。例えば中国で「Alipay(支付宝)」や「WeChat Pay(微信支付)」が急速に市民権得ている現状を指し、「なぜ日本はキャッシュレス化で世界から遅れているの?」というフレーズをよく聞くようになった。

 「中国では現金が時代遅れとなりつつあるのに、なぜ日本ではいまだに現金主義が根付いているんだ?」と嘆く声も聞こえる。「隣の芝は青い」とはいわれるが、各国のお金や決済事情はその地域の事情や文化背景に根付いたものであり、一概に比較できるわけではない。今回は、日本を含む世界の決済事情について読み解いていく。

●モバイル決済への近道、欧米豪でのクレジット(デビット)カード決済事情

 まずはキャッシュレスの観点から見ていこう。後述するが、カード決済はモバイル対応への近道だ。日本で普及している流通系電子マネーとは異なり、クレジット(デビット)カードは既存の決済インフラをそのまま活用できるため、店頭での決済の他、オンラインでの支払いにおいてもそのままカードを通じて決済が行える。Apple Payが分かりやすいが、一度手持ちのクレジットカードを登録すれば、後は店頭でのiDやQUICPayでの決済の他、アプリやWebブラウザ経由での支払いにも利用できる。ゆえに、既に決済インフラの整備された先進国においてはカード利用がモバイル決済への近道ということになる。

 一般に、日本では(クレジット)カード決済比率が低いとされている。例えば次のスライドは、VisaがEuromonitorの調査資料を基に各国でのカード決済比率をまとめたものだが、日本は17%とかなり低い水準にあることが分かる。これが、米国では41%、カード決済の普及率が高い国として知られるオーストラリアとカナダが60%台、そして韓国が73%となっている。これとは別に、日本クレジットカード協会の平成28年(2016年)版データがPDFでまとめられており、末尾の参考資料にある「諸外国のキャッシュレス(カード決済)に関する統計」も合わせて参照することで、もう少しだけ数字の内訳が見えてくる。

 実は、統計の取り方によって国ごとのカード決済比率の数字は変わってくるのだが、日本が16〜18%程度、米国が4割前後、オーストラリアやカナダが7〜8割、そして韓国が7〜9割程度という水準に収まっている点で一致している。ただ、日本ではカード決済といえばクレジットカードが主流な一方で、諸外国ではデビットカードの比率が高い。この傾向は特に欧州で顕著だ。これは銀行のATMカードにデビット決済の機能がひも付けられており、それをそのまま日常の買い物に利用するケースが多いためとみられる。

 逆に日本ではデビットの普及が進んでおらず、最近でこそ「Visaデビットカード」などのプロモーションを頻繁に見かけるようになったものの、この点が海外との大きな差になっている。韓国のみクレジットカード決済比率が突出している点はあるものの、各国で各様の決済事情が展開されていることは資料から読み解けるはずだ。

 実際、カード決済比率が高い欧米などを訪問すると、スーパーなどの店頭でカード決済を行っている風景を見かける確率は非常に高い。バスなどの公共交通やカフェでの支払いはいまだ現金が主流なものの、一定金額を超える買い物についてはカードを用いることが多いようだ。

 また最近では、低額の買い物においてもカード利用を促すべく、Mastercard PayPassやVisa payWaveといった「EMV Contactless」の非接触決済方式の採用が進んでいる。通常、ICカード付きクレジット(デビット)カードでは決済にあたってPINコード入力が求められるが、一定額を下回る決済の場合に(例えばフランスでは30ユーロ、英国では30ポンド)、PINコード入力を省略できるというものだ。

 これにより、スムーズで素早い決済が可能となる。この動きは2012年に開催されたロンドン五輪前後の時期から特に盛んとなっており、これを背景に英国での非接触対応の決済端末設置が急増した。決済端末のシェアで世界最大手のIngenicoによれば、現在欧州域内で展開されている新規の決済端末は全て非接触決済に対応しており、今後数年のうちに多くの小売店で非接触決済が利用可能になるだろう。

 クレジット(デビット)カードのIC対応や非接触対応についても、「カードの普及が進んでいないから小売店でのインフラ整備が進まない」のか、「使える店舗が少ないからカードの普及が進まない」のかは、よく「鶏と卵」の関係で例えられるが、実際には利用環境を広げるための「後押し」が重要となる。

 例えば、Mastercardなどクレジットカードの国際ブランドらは欧州における2020年までの非接触決済への100%対応を表明しているが、決済端末の対応と同時に、フランスや英国をはじめとする西欧各国で銀行の発行するクレジット(デビット)カードのほとんどが非接触対応となっているなど、両面からの普及策を進めている。

 非接触決済普及率の高いオーストラリアでは、2大スーパーチェーン店での導入に加え、銀行が積極的にカードへの非接触決済機能搭載を推進してきたという欧州事情と似た部分があるが、同時に国の政策としてこれらを支援してきたのも大きいといわれている。

 つまり、推進する側による強力なプッシュが重要であり、さらにロンドン五輪のように政策や「デッドライン」的なものの存在がそれを補完する。その意味で、予算や明確な目的となる2020年の東京五輪は、日本のカード対応におけるインフラ整備の大きな転換点になるといわれているわけだ。

●途上国で急速にキャッシュレス化が進んでいる理由

 日本は成人の銀行口座保有率がほぼ100%近くと先進国でもトップクラスに位置する一方で、前段の説明にもあるようにカード決済を含む電子決済比率が低い。少額決済ではいまだに現金が大きな割合を占めている他、請求書による口座振替や現金での振り込み、代引きなど、間接的でも現金や書面でのやりとりが多く発生している。慣習的なもので、この意識が小売店(企業)や利用者ともに変化していないのがキャッシュレス化が進まない原因でもあるが、逆にインフラが後期に整備された国ほど大胆な施策が実行可能で、国民の新しい決済や送金手段に抵抗がないのかもしれない。

 代表的なものがインドだ。同国はもともと2010年代に入るまでは「アンバンクト(Unbanked)」と呼ばれる地域で、成人の銀行口座保有率が5割に満たない状態だった。2014年にNarendra Modi氏が首相に就任すると、さまざまな施策を講じてこの状況を変えていった。2014年時点で銀行口座保有率は5割に達していたようだが、銀行のサービス窓口が都市部に偏っているなど使いにくく、その半分ほどは使われていない休眠口座だったといわれている。

 そこで2016年に強行策として500ルピーと1000ルピーの高額紙幣廃止を発表し、国民から現金の引きはがしにかかった。両紙幣合わせて紙幣流通額にして86%に相当するもので、この施策は当然ながらインド国内に大混乱を引き起こしたが、一方で手持ちの現金が無価値になるのを避けるべく、人々は銀行の利用に向かった。結果として、銀行口座の世帯普及率は100%近くにまで急上昇し、休眠口座も激減したという。

 また、中国のAlipayやWeChat Payほどではないものの、スマートフォンやフィーチャーフォンを使ったアプリ決済サービスである「Paytm」などの普及も進んでいる。まだプロモーション的な要素が強いためアクティブユーザー数の正確な広がりはつかめていないが、Paytmによれば2017年初時点でWalletサービスは2億ユーザーに達しており、2018年内には全人口の1〜2割程度をカバーすることになるとみられる。現在AlipayとWeChat Payの人口カバー率が3〜4割程度だということを考えれば、今後数年でインドもまた近い水準に達する可能性がある。

 インドや中国に限らず、アンバンクトな国々では全体にモバイル決済サービスが国の金融事情をけん引している傾向が強い。インドの例にあるように国土に対して金融サービスを提供可能な銀行支店の数が少なく、サービスそのものの使い勝手が悪いためだ。そこで、先に普及している携帯電話インフラを活用し、SMSなどのショートメッセージサービスを使った送金や支払い、キャッシングを可能にする仕組みが登場し、これが国のキャッシュレス化を推進している。

 代表的なものはアフリカのケニアなどで展開されている「M-Pesa(エムペサ)」だが、同様のサービスはアフリカやアジアの他地域でもみられる。Safaricomといった携帯キャリアがサービスを提供している点が特徴で、オフラインでのやりとりが必要となる現金の引き出しや預け入れについては、M-Pesaと提携している各地域の商店を通じて行えるため、少ない銀行支店をやりくりするよりも利便性が高いというメリットがある。サービスはフィーチャーフォンでも利用可能なように工夫されているが、今後こうした地域でもスマートフォンの普及が進むことを考えれば、より高度なモバイルバンキングサービスが登場する可能性も十分に考えられる。

●日本国内でなぜモバイル決済が進まないのか、その対策は?

 世界の決済事情が見えてきたところで、話を冒頭の日本のモバイル決済事情へと戻そう。Apple Payがそうであるように、欧米豪のキャッシュレス化やモバイル対応は基本的に既存カードインフラの活用を前提としている。香港やシンガポールなど、アジア圏でも比較的インフラ投資が行き届いている国についても、基本的にはこの欧米豪に近いアプローチを実践している。

 逆に、既存のカードインフラ(銀聯)の活用を目指した中国版Apple Payは、その利用がQRコード決済ほどには拡大していない。これは銀聯の非接触決済であるQuickPassの普及率がそこまで高くないこと、QuickPassが使えるような店舗では既にAlipayやWeChat Payが使えるようになっているケースが多く、サービスの利便性を考えればあえてApple Payを利用する必要はないということも大きいのかもしれない。

 日本国内でおサイフケータイの利用が10%台、あるいはその前後の水準で足踏みしているのは冒頭にもある通りだ。2016年10月にはApple Payが日本に上陸し、国内スマートフォンシェアの半数以上を占めるというiPhoneの増加でおサイフケータイ対応携帯が減少しているという「インフラ活用面」での悩みは解消したものの、Apple Pay上陸後もモバイル活用率は大きく跳ねた印象はない。

 ただJCBによれば、Apple Pay上陸後にQUICPayの利用は急増しており、カード発行枚数そのものにも大きな影響を及ぼしていることを認めている。QUICPayのもともとの利用率が少なかったことの証左でもあるが、少なくとも業界地図に影響を及ぼしつつあることは確実だ。日本はApple Payにおいて交通系電子マネーやその他のFeliCa系非接触カード決済に対応するという特殊仕様になっているが、この取り組みが中国におけるApple Payの惨状とは異なる状況を生み出したともいえる。

 ではなぜ、日本ではおサイフケータイやApple Payを活用できるインフラが整備されているにもかかわらず、利用状況の改善がみられないのか。MMD研究所の調査報告にもあるように、既に認知度が高く、小銭を使わなくてもいいという利便性が理解されているものの、セキュリティ的な不安を抱えているユーザーが多いことが示されている。

 ただ、モバイルで発生するセキュリティ的なトラブルはリリースから時間を経て改善される場合が多いことと、盗難時や紛失時などにリモートでカード情報等を削除できるため、その意味では一度提供されたら次の更新時期までハードウェア的な変更が行われない物理カードの方が対処が難しいともいえる。

 かつてカード会社がモバイル対応にあまり積極的でなかった頃、その理由としていわれていたのが「モバイルではセキュアエレメントへの書き込み処理を含めた対応を携帯キャリアやメーカーに委ねなければいけない」ということで、セキュリティ的に安全性を担保できないというものだった。だが現在、Apple Payのような仕組みが登場し、多くのカード会社がこのインフラに乗っている以上、そうした部分の懸念は少ないと考えるのが妥当だ。むしろ「やり方が分からず面倒」「積極的にモバイルで使う理由がない」という部分のが大きいのではないかと考える。

 さて、中国を含む途上国でのモバイル決済に関するユースケースは重要なことを示唆している。向上した利便性が既存の商習慣を変化させたという点だ。北欧でも同様にキャッシュレス化がここ最近で特に進展したが、その背景には「スマートフォン普及率の高さ」「国土に人口が偏在することによる都市部での人口カバー率の高さ」「特定のテクノロジーにこだわらずに利便性を優先する」といった分析が行われている。

 これにより、例えばデンマークでモバイル決済サービスのMobilePayが過去数年ほどで一気に広がるなど、市民権を獲得している。中国のAlipayやWeChat PayといったQRコード決済や個人間送金サービスの利用はスマートフォンが必須のため、物理カードではなくモバイル端末での決済が中心になっているという事情がある。現状のサービススタイルのままで日本のモバイル決済が大きく進展することはなく、より便利なサービス(例えばモバイルを使った個人間送金や決済機能を含んだキラーアプリ)の登場が必要ではないだろうか。

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