2013年1月28日月曜日

「格安航空会社」の誕生

フレデリック・レイカーによる会社設立以降、長年の間アフィニティ・チャーター便を運航していたレイカー航空が、これまでの「企業本位」ともいえる不自然な状況を打破すべく、既存の大手航空会社の割引運賃を大幅に下回る格安な運賃により、「スカイトレイン」のブランド名で1977年にロンドン(ガトウィック)-ニューヨーク(ニューアーク)線などの大西洋横断路線に参入した。
レイカー航空は、瞬く間に格安運賃を求める多くの利用者(その多くは大学生などの若者のバックパッカーを中心とした個人客であった)から支持を受けて、イベリア航空やアリタリア航空、サベナ・ベルギー航空などの、「IATAカルテル」の恩恵を受けて割高な国際航空運賃を維持していた既存の大手航空会社を押しのけ、1981年には大西洋横断路線において6位のシェアを獲得した。
対岸のアメリカでも、1978年にジミー・カーター政権によって施行された航空規制緩和(新規航空会社の設立や路線開設が事実上自由化された)の影響を受けて、1981年にドナルド・バーによって設立され、既存の大手航空会社の割引運賃を上回る格安な運賃で大西洋横断路線やアメリカ国内線に就航したピープル・エキスプレス航空や、それに先立つ1971年に設立され、航空規制緩和を受けて急速にその規模を拡大していたエア・フロリダが、格安航空会社のはしりとして脚光を浴びた。
間もなく、大西洋横断路線を主軸にしていた格安航空会社は、パンアメリカン航空やトランスワールド航空、ブリティッシュ・エアウェイズなどの大西洋横断路線を主要な収益源の1つとして運航していた既存の大手航空会社やIATAの意を汲んだイギリス、アメリカ両国政府の強い圧力、航空事故などを受け倒産した。
レイカー航空の倒産は、同じイギリスのリチャード・ブランソンによるヴァージンアトランティック航空設立に大きな影響を与えた。

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