トランプ政権は、米国国防政策の基本方針を転換し、米国にとっての主敵をテロリスト集団から軍事大国すなわち中国とロシアに設定し直した。
この方針は、昨年(2017年)末から本年初頭にかけて公表された国家安全保障戦略ならびに国防戦略概要に示されていた。また、現在、米国連邦議会で最終調整中の2019年度国防予算法案(NDAA-2019)に盛り込まれている内容からも、「仮想主敵は軍事大国すなわち中国とロシア」という方針が読み取れる。
このように米国のこれからの国防戦略の根本は「大国間角逐に打ち勝つ」であり、その最大のチャレンジが「中国の軍事的台頭を押さえ込む」ことにある。
だが、現実には、中国に強力な軍事的圧迫を加えるどころか、中国が着々と手にしてしまった東アジア地域、とりわけ南シナ海での軍事的優勢を切り崩すことすら容易ではない状況である。
米国を介入させないための「サラミ戦術」
本コラムでは、中国が南沙諸島に人工島を建設して中国人民解放軍の前進海洋基地群を造り出し軍事的優勢を確実に手にしつつある状況を、2014年から追い続けてきている。同時に、そのような中国による軍事的優勢確保に対してアメリカがどのように牽制したのか(しなかったのか)に関しても、指摘してきた。
しかし、南シナ海での軍事的優性を確保しようとする中国の努力は、なにも南沙諸島に人工島を建設し始めてからのものではない。
ベトナム戦争のどさくさに紛れてベトナムが実効支配していた西沙諸島を、中国は1974年に軍事占領した。それ以降、南シナ海を含む太平洋全域の覇権を手にしていたアメリカが介入してこない程度の「ささいな」勢力拡大行動を、目立たないように断続的に積み重ねてきた。いわゆる「サラミ戦術」(サラミスライス戦術)である。
中国に対して融和的なオバマ政権が誕生すると、南シナ海の軍事的優勢を一気に手にするための準備を加速させた。そして、オバマ政権の2期目がスタートすると、サラミ戦術をかなぐり捨てて、南沙諸島での人工島建設や西沙諸島での軍備強化など、露骨な勢力拡大行動を開始したのだ。
© Japan Business Press Co., Ltd. 提供 南沙諸島の現状(黄色が中国の実効支配)
誰もが予想しなかった中国のスピード
2014年春、中国が南沙諸島の数カ所の環礁を埋め立てて人工島を誕生させようとしているらしいとの情報が、フィリピン政府やアメリカ海軍によってもたらされた。
当時、アメリカ海軍を含む米軍当局やホワイトハウスをはじめ国際社会の誰が、わずか2年半足らずの時間で、満潮時にはそのほとんどが海面下に没してしまうような環礁が立派な島に姿を変えてしまうと予測しただろうか? それも7つもである。
また、埋め立て作業開始後わずか4年ほどで、7つの人工島に各種レーダー施設や港湾施設や航空施設それに灯台をはじめとする軍事拠点とみなしうるだけの設備が設置され、海洋基地群へと生まれ変わってしまうと、誰が想像したであろうか? それら人工島の3カ所には、3000メートル級滑走路まで誕生しているのだ。
オバマ政権が中国に対して腰が引けていたことは事実である。だが、アメリカ軍当局が中国の人工島造成能力を把握しきれず、南シナ海でのサラミ戦術から一気に軍事的優勢を掌握してしまう戦術に転換した中国の動きに対応することができなかったこともまた事実である。
手詰まり状態のトランプ政権
では、トランプ政権はどうか。実はトランプ政権も、大統領選挙期間中は南シナ海での中国の覇権主義的動きに対して極めて強硬な姿勢を示していたものの、結果的に判断すると、それはオバマ政権を批判し民主党に大統領選挙で打ち勝つ戦術の1つであったにすぎなかった。
トランプ政権発足後には、北朝鮮問題で中国の協力が必要になったという事情も生じたために、中国に対する強硬な姿勢は示さなかった。
連邦議会や海軍などの対中強硬論も無視できなかったトランプ政権は、オバマ政権下で"しぶしぶ"開始された南シナ海での「公海航行自由原則維持のための作戦」(FONOP)を再開した。しかしながら、オバマ政権下での倍以上の頻度でFONOPを実施し始めた矢先、アメリカ太平洋艦隊軍艦が立て続けに重大衝突事故を起こしたりしたため、FONOPのペースを上げることができなくなってしまった。
もっとも、米海軍が南シナ海でFONOPを実施すると、それに対して中国は「アメリカの軍事的脅威からの自衛」を口実にして、ますます西沙諸島や南沙人工島の軍備を強化する、というイタチごっこが続いている状況だ。
要するに、中国による軍事的優勢掌握が完成しつつある反面、かつて軍事的優勢を手にしていたアメリカは有効な巻き返し策を見出せないでいる、というのが現在の南シナ海の軍事情勢である。
再び用い始めたサラミ戦術
このような状況下で、米国の積極的な軍事介入を避けつつ、南沙人工島の軍備をさらに増強させ、人工島以外にも実効支配する領域を拡大していくことが中国の戦略である。そこで中国は、再びサラミ戦術を用い始めたようだ。
フィリピン軍によると、中国人工島の1つであるミスチーフ礁とフィリピンが軍隊を駐屯させているラワック島の中間に位置するジャクソン礁を、中国海軍が軍艦の「泊地」化しつつあるという。
ジャクソン礁はかつてはフィリピン漁民たちにとって漁場として親しまれていたが、昨今は中国側によってフィリピン漁民は排除されてしまったそうである。そして、人工島基地群の完成が近づきつつある現在、ジャクソン礁では数多くの中国海軍艦艇などが投錨したり出動準備をしている状況になっている。
このように、中国はジャクソン礁を、アメリカをはじめとする国際社会の耳目を集める人工島建設ではなく、静かに軍艦の停泊地としてしまうことにより実効支配を確立してしまおうというのである。まさにサラミ戦術そのものだ。
そして8月に入ると、中国政府は海洋捜索救難船「南海救-115」(中国交通運輸部南海救助局所属)をスービ礁(人工島の1つで3000メートル級滑走路が設置されている)に派遣すると発表した(冒頭の写真)。南海救-115はスービ礁に一時的に派遣されたのではなく、今後はスービ礁を母港として南沙諸島での海難事故に備えるとのことである。やはり、国際社会の耳目を集める軍艦の母港化ではなく、救難船を配置に付けるというサラミ戦術によって、より一層中国の実効支配体制を固めていくのが狙いであろう。
このように、南シナ海での海洋前進基地群が完成に近づいた中国は、再びサラミ戦術を用い始めた。徐々に軍事的有性を強化しつつ、次なるチャンスを持ち続け、再び機会が到来したならば、さらに露骨に覇権を拡大しようというわけだ。
「取られたら、取り返せない」という教訓
西沙諸島や南沙諸島での中国による軍事的優勢確立の事例は、どんなちっぽけな島嶼や環礁でもいったん占領されてしまうと、それを元の姿に差し戻させるのは極めて困難であることを如実に物語っている。すなわち、外交的圧力や軍事的示威行動程度の手段で中国に西沙諸島や南沙人工島から手を退かせることが不可能であることは明白だ。
米軍関係者の間でも、中国が巨費を投じて創り出した人工島海洋基地から中国軍を撤収させるには米中戦争に打ち勝つことしか選択肢はないということが、もはや常識となっている。
とはいえ、トランプ政権や米連邦議会、それに米軍当局が、アメリカの領土ではない「ちっぽけな環礁」(それもほとんどのアメリカ人が知らない場所)を巡る紛争に介入して米中戦争に突入する意思決定を下す公算はもちろんゼロに近い。
このような現在進行中の南シナ海での中国による覇権確立状況は、万が一にも日本の「ちっぽけな島嶼」が中国に軍事占領された場合、どのような運命をたどることになるのかを誰の目にも見える形で示唆しているといえよう。
日本国防当局関係者の一部は驚くべきことに、「いったん敵に島嶼を取らせて、しかる後にその島嶼を奪還する」というアイデアをしばしば口にしている。しかし、そうしたアイデアを絶対に島嶼防衛戦略に組み入れるべきではない。どんなに「ちっぽけな」島嶼といえども、絶対に中国軍に占領されてはならないのだ。いったん占領されてしまった場合は、米中戦争の危険を冒してまでアメリカが本格的に軍事介入する可能性はゼロと考えねばならない。そして、多数の長射程ミサイルが日本全土に降り注ぐ状況下で自衛隊が独力で人民解放軍を撃破する以外に、いったん取られた島嶼を取り戻す方策は存在しない。
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