私が30代のころのことだ。勤め先の経営者ががらりと代わり、経営も組織も大きく変化した。しかし私はその変化になかなかついていけなかった。上司たちが何を言っているのかもよく分からなかったし、自分たちが求められていることも腹落ちしていなかった。
同じ状態だったのは、私だけではなかったのだろう。変化に対して抵抗を示す人、新しいやり方に戸惑う人、新しい組織に馴染もうとする人——組織全体が混沌(こんとん)としていた。
古株社員としての自負があったのだろう。血気盛んだった30代の私は、何か問題があるたびに「これって、こういうふうになっている方が良いと思うんですよね」「こうあるべきではないのでしょうか?」と口にしていた。上司に対してもよく文句を言っていた。あるべき論を口にし、言い方も結構キツかった(だろうと思う。そのときは自覚していなかったが)。そのため、あちこちで人とぶつかった。
ある日上司に呼ばれて会議室に行くと、上司はホワイトボードに絵や文字を書きながらこんなことを話し始めた。
「会社には、こうした方がいい、ああした方がいいと評論する人、つまり『評論家』と、こうした方がいいと思ったことを主体的に行動に移す人の2種類がいます。大きな会社には、こっちがたくさんいます」
そう言って「評論家」という文字に下線を引いた。
「でもね、うちみたいな立ち上がったばかりの少人数の会社には、こっちの人は要らないんだよね」
今度は「評論家」という文字の上に大きく「×」を書き、こう続けた。
「今のままだったらあなたは要らない。他の仕事をしてよく考えろ」というメッセージだと受け取った。戦力外通告である。
仕事に就いて10年、こう淡々と「あなたはここには不要」というニュアンスのことを言われたのは初めてだったので、私は衝撃を受けた。
この日から、「私はいったい何をしたくてここにいるのか?」「そのためにどうするべきなのか?」を、脳が汗をかくくらい徹底的に考えた。
そしてある日、「あ、そうか!」と悟った。
「私は、評論したり文句を言ったりするのではなく、実現するためにどう動けばいいのかを考えなければならないのだ。これが20代と30代の違いだ。目の前のあれこれに愚痴るのではなく、解決策を考え、自ら行動することが期待されているのだ。それができないなら、自分の実力不足だと反省すべきだ。ベテランになるとは、そういうことなんだ」
つきものが落ちたような気分だった。それから少しずつ、「考え方」に加え「行動」も変化した。
それまでの私は、「したいこと」「すべきだと思うこと」「この方が良くなると思うこと」がたくさんあっても、「誰かがそれをやればいいのに」と無意識に考えていた。自分は管理職でもないし、その担当でもない。「経営者がしっかり考えればいい」「上司がちゃんとやればいい」「それは私の役割ではない」——そんなふうに思っていた。
しかし、あのときの上司の言葉が、「あれこれ評論している場合じゃない。自分が動かなければ!」と気付かせてくれた。
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